エネルギーを奪う
あちこちのブログを覗いているときに、出会ったけれど、どこだったかがわからなくなってしまって、申し訳ないのですが、そのことから書かせていただきます。
ちょっとびっくりすることでしたが、他の疑問に思ってきたことと、つながってきたのです。
例えば、一家の父親が母親に暴力的になるとき、父親は母親のエネルギーを奪っている。
母親が子どもに、言葉できつく当たる時、母親は子どものエネルギーを奪っている。
エネルギーを奪われた子どもは、学校で同級生をいじめることで、その子からエネルギーを奪っている。
そして実は父親は会社で上司から、いろいろなことでエネルギーを奪われていた。
書いた方の意図は、私が読み取ったことと少し違うのかもしれませんが、私はここから、人を1本の竹に擬えたことをイメージして、想像が広がったのです。
私が、目の前にいる人を、この人はこういう人だと理解した(決め付けた)とすると、本当はどの人も制限なく大きな大きな竹であるのに、私がその人を途中までの大きさに制限してしまう。
その時に、その人の制限されたよりも上部の際限ない大きな部分は、私のもの(エネルギー)になる。
それは、目の前にいる人のものだから、奪ってはいけない。
つまり、目の前にいる人のことを、あれこれと私が決め付けてはいけない、ということになる。
また、先日ご紹介した「ひっそりとスピリチュアルしています」のブログでの記事で、誰かに感謝の気持ちを抱いた時、自分と接するその人は次元が高くなっているというようなことが書かれていました。
私の母の場合も、同じ原理だと、謎がひとつ解けました。
母は、自然に周りの人をいつも高めて見ていたので、いろいろな人から、優しく親切にしていただけていたのですね。
竹の話に戻ると、その人を決めつける時は、どちらかというと低く見ることが多いと思うのだけれど、そうすると、優越感からか、一時的に気分が良くなる。
それは、エネルギーを奪ったから、楽になることができて気分が良くなるのかもしれない。
でも、奪ったエネルギーは、早晩返す時が来るだろう。
ちゃんとおあいこになるようになっているから。
それが宇宙の法則だから。

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