ぴょいちゃんのその後

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13日のお日様。


以下は8日に書いたもの。

PCがつながらなかったので、数日投稿できず、そのままになってしまった。


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4日のお日様。





ぴょいちゃんは、自分で食べたり飲んだりはできないものの、外の草地の上では10分以上も立っていることができるようになった。

家の中だと、まだ踏ん張りは効かない。

でも、ここまでの回復は、一時は予想もできなかった。


北欧では、自分で食べれなくなったら、治療はしないと、獣医さんに言われた。

もう十分に生きた年齢で、このあと元通りに回復する確信は持てない
状況だった。

でも、何もせず見ているだけなら、まもなくお別れすることになる。


点滴で栄養を与えるのは、とても効率が悪いので、口から少しでも入れてあげる方がいいと聞いて、針のない注射器で流動食を入れた。

その後は、元々食べていたフードをミキサーで滑らかにして口に入れた。


最初は何かしても反応がなかったが、次第に立ち上がれるようになり、先ほどなどは、大好きな夫が撫でてくれるのを、次はこの辺を撫でてくださいというように姿勢を変えて、甘えていた。

どんどん元に戻っていく。

ぴょいちゃんの生きる意欲が、素晴らしい。


あの日は、急に脱力して、ほとんど意識がなくなった。

夕方までは、特別調子がいい日で、よく歩いていただけに、とても驚いた。


心臓に大きな血栓ができているので、急に最期を迎える可能性もある。

でも、その時まで、みんなで楽しく過ごせたらいいな。



私が恐れていたことは、ぴょいちゃんを失うこと、介護が長期にわたり、ほぼ一人でかかわるだろうこと。

そして心の中をよく見ると、もうひとつあった。


私の母の晩年に、私の判断はあれでよかったのかと、ずっと分からずにいることがあった。


母が脳梗塞を起こした時、ある延命治療を施さなければ薬も投与できないと言われた。

退院後は、もう一度脳梗塞を起こし、その頃からは私のこともよくわからなくなり、ますます弱弱しくなっていった。


ある日、何となくテレビをつけていると、一人の老婦人がインタビューに答えていて、
「いつまでも生きてはいられないからね。」
と話しているのを耳にした。

たまたま聞いた言葉だが、もしかしたらとうとう母の寿命が尽きるのかもしれないと、その時思った。

そして次の日くらいに、施設から電話をもらった。


母を無理やりこの地球のこの地に、不自由なままつなぎとめてしまったようで、申し訳ない気持ちになった。

本当は、母がそうなる前には、何かあっても強引な延命治療は止めようと、兄と話し合ったことがあった。

それでも、結局こんなことになってしまった。


いつから間違えてしまったのだろう。

いつどう変えたらよかっただろう。

わたしはずっと解らないでいた。



今回のぴょいちゃんの一件で、母のことは、間違っていたわけではないように思えてきた。

母は、もっと早く楽になりたかったかもしれない。

私たちの選択は、生命の尊厳を冒したのかもしれない。

けれども、あの時点で迷いながら選択した方向は、間違っていたわけではないのではないかと思えた。

家族の回復を願うことは、自然で当然なことだからだ。

それは、そういう治療法が適切であるかどうかとは別のことだ。


ぴょいちゃんの立ち上がり方が力強くなるにつれ、ますますその思いを強くしている。



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ここまで、8日に書いたものを、少し加筆した。



ぴょいちゃんは、台風19号が通り過ぎた翌朝、爽やかな空と風とお日様に見守られて、柔らかな芝生の上で、たくさん大好きなお父さんに撫でられた後で天に帰って行った。

この頃、いろんな方にきれいなわんちゃんね、とか、そんな高齢にはとても見えないね、とか、様々に褒められていたのは、一生懸命犬生を全うしたぴょいちゃんへの神様からのご褒美だったのだ。

ずっと一緒にいてほしいと、家族それぞれが願っていて、それに応えようとぎりぎりまで頑張って生きてくれた。

私はとても感謝している。


ありがとう、ぴょいちゃん。

またいつか、会おうね。



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