庭の楓のこと

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暫らく前になるが、高く聳える杉木立をずっと眺めていたからか、庭に以前植えていた楓のことを思い出した。

その楓は、近くの植木市で買って、日当たりのいい場所に植えたものだった。
元気がよくて、伸び放題になってしまう枝を、何度か切らなくてはいけなかった。

私はあまり木の「気」を感じられないのだけれど、この楓の木だけは、当時家の庭に植えられるのを喜んでいるように、買って来た時に何故か感じられた。

前に書いたことがあったが、その楓は今年のような梅雨の長雨で、力尽きて枯れてしまったのだった。

その前年に、名前も知らない黒っぽい虫が木に行列になって登って行くのを見つけた。
私も普通なら殺虫剤を掛けるところだが、その虫も生きているので、その時は迷って、そのままにしていて、結局楓の葉はほぼ食べつくされて、秋と冬を迎えた。
春になり、ちゃんと新しくきれいな葉をたくさん出したので、もう大丈夫と思っていたら、降り続く雨や、日光不足で、とうとう枯れてしまった。

私は、あの時虫ではなく楓の方を助けるべきだったのだろうかと、思い出す度ずっと心に引っかかっていた。

今回、思い出した時、あの木が、何かと気持ちをとても強く持っていたことが意識に上り、何となく、あの楓は私の家の庭と、その後の運命を選んでやってきたのだと思えた。
だから、枯れてしまったことにも後悔はしていないのではないか。

今頃はもっと大きくなる種類の木の若木になって、相変わらずエネルギーを強く発しているだろう。
詩の中であすなろが明日は大きな檜になろうと思ったように、あの木は多分たくさんの経験を積んで大きな木になろうとしている。

人も、そんな気持ちで生まれる場所と運命を選んで生まれてきたのかな。

憶えてはいないが、そういうものなのかもしれない、と思った。


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誕生日前夜の作品






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